坐禅レベル5の僕が禁煙を試みる(令和4年3月1日午後0時スタート)
坐禅レベル5の男が怪物タバコに挑むチャレンジ
こんにちは
僕は20年以上タバコを吸い続けてきました。
だいたい1日20本。
タバコを長年吸っている人ならわかると思いますが、
禁煙は難しい!
なんでも麻薬と同じかそれ以上に依存性が高く、やめるのが難しいのだとか
そりゃ簡単にはやめられないよな
たばこを辞めようとすると禁断症状が現れ、とにかく気分が落ち着かない。
それで普通考えられない行動に走ってしまうことがあります。
例えば(これは実際自分が過去におかした行動です。)
・ゴミ袋に捨てたタバコの吸いかけを、またゴミ袋から漁ってそれを吸う。
・誰かの吸いかけのタバコを見つけて吸う。
・誰かのタバコを勝手に拝借する。
・道端に落ちてるタバコを拾って吸う。
・仕事中にさぼって隠れて吸う。
理性を失った獣ですね
結局、喫煙って
「禁断症状を和らげるために吸ってるに過ぎない、愚行」
しかも百害あって一利なし
健康に悪いのはいうまでもなく、お金の無駄、他人に煙たがられる
お金だけ見ても、1日一箱580円を一年間吸い続けると
580円×365日=211,700円(/1年)
これを20年吸い続けたら
211,700円×20年=4,234,000円(/20年)
423万4000円!!!の損失
さらに体を壊して医療費とか考えたらさらなる損失が嵩みます。
これは辞めなくてはということで、いろんな方法を試みます。
以前禁煙外来を受診して、チャンピックスという薬を処方されてそれで禁煙を目指しましたが断念しました。
チャンピックスを飲むとタバコがすごく不味く感じます。タバコが不味いのでタバコを吸いたくなくなります。
それで禁煙できます。
簡単にいうとこんな理屈なんですが、僕はタバコをおいしく吸いたいから
チャンピックスを飲むのをやめました。。。。
結局たばこを辞められなくて罪悪感を覚えます。
しかし、喫煙者の方々に言いたいのはタバコをやめられなくても罪悪感を抱えないでほしい。
それくらいタバコをやめるのは難しいということです。
タバコを公然と売る国が悪いよな。。。
そんなことを言っても始まらない
というわけで、できるだけ簡単にたばこを辞められる方法を自分なりに考えてみました。
それは
「坐禅を使ってタバコを辞める」
(お金は一切かかりません)
これはどういうことかというと、そのままの意味でタバコが吸いたくなったら坐禅をするんです。
坐禅をするといっても禁断症状が出るたびに壁に向かって足を組んで座るわけではありません。
たばこが吸いたくなったら坐禅をしている意識状態で自分の内側に目を向けるんです。
これはまったく坐禅や瞑想をしたことない人からしたら、意味がわからないことだと思います。
坐禅や瞑想は本当に奥が深くて、僕はそれを少し齧っただけに過ぎないのですが、そんな僕ですら坐禅や瞑想(坐禅と瞑想の違い正直よくわかっていません。。。)のすばらしい効果を実感しています。
これは長年神経や精神を患って地獄のような生活をしてきた自分が辿り着いた境地です。
このことを話すと長くなりますのでここでは割愛しますが、苦しみの中、坐禅を知ってその坐禅に救われて来ました。
坐禅のやり方は
只管打座(しかんだざ)(ただ座る)
壁にむかって足を組みただ座る。
座っているときに大事なポイントとして3点あります。
1、正身端座(しょうしんたんざ)
姿勢を正す
2、調息(ちょうそく)
呼吸を整える
3、致心(ちしん)
座っている間、沸いて来る雑念に対してそれを追わず、ただ眺める。
この中で3番目の致心(ちしん)が最も大切だと思っています。
ただ座っていると頭の中にいろんな雑念が沸いてきます。その雑念をただ眺めてそれを掴まず追わず。そうするとその雑念は消えていきます。消えてもまた雑念が沸いてきます。そしたらまたその雑念をただ眺める。決して掴まず追わずこねくり回さない。その繰り返しです。
その意識状態を掴めれば座らなくてもいいと思っています。歩いている時、書いている時、人と話をしている時、寝ている時などなど何時でも坐禅ができます。
そこで気づくのが苦しい時の意識状態です。
苦しい時、心の声を聴きます。
心が悲鳴を上げています。
その声に耳を傾けます。
心の声とそれを聞いている自分を区別します。
「心の声」
「心の声を聞いている自分」
そこで心の声は本当の自分ではないと気づきます。
本当の自分は「心の声を聞いている側」です。
意識です。
心の声は、過去の記憶に基づく感情にすぎません。自分ではない。幻です。
その心の声(雑念)ははっきりいってゴミです。
その心の声をただ眺める。決して掴まず追わずこねくり回さない。
致心です。
手放すんです。
坐禅とはすなわち執着を手放すこと
かなと思っています。
これを禁煙に応用してみたらどうだろうかと考えたわけです。
というかなんでここに考えが及ばなかったのか。。。
禁断症状があるときはすなわち、心が悲鳴をあげている状態です。
しかしその心の声は本当の自分ではない幻です。ゴミです。
ゴミは手放さないといけない。
坐禅ともうひとつ大事なこと
手放すだけでは少々心もとない。
苦しくなったら手放しつつ、今していることに集中するということ。
集中するというとすこし固い感じがするので自分なりの言い方でいうと
噛みしめて、深く味わう。
あらゆる行為に対して、深く味わう意識が大事。
歩いている時、食べている時、手を動かしている時、行動の全部。
整理すると
1,自分が今しているあらゆる行為にたいして
噛みしめ、深く味わうこと
2,苦しくなったら
心の声に耳を傾け
その声は自分ではなく単なる幻にすぎないと考え
ただ眺め、掴まず追わずこねくり回さず手放すこと
これら2点をもってタバコをやめる
坐禅レベル5の男が怪物タバコに挑むチャレンジ
果たして敵をやっつけられるだろうか
この敵やっつけたら僕の坐禅レベルは大幅にアップしそうだ
この武器は人生のあらゆる場面で使えるから是非とも敵を倒してレベルを上げたいものだ。
一切偽らずその経過を報告していこうと思います。
補足
以下の書籍は坐禅や瞑想を実生活に取り入れるために参考になる考え方が書かれていますので是非ご覧になってください。